私たちは、正しいことを選ぼうとする。
それは人間として間違ったことではない
私たちは、判断をして何かを選ぶことができるから
判断基準として、正しい・間違いの基準を求める
基準は、情報であったり、経験であったりいろいろある
でも、その基準のもとになっているものはすべてカルマでしかない
カルマとは、この世界にある固定されているものすべてのことを指す
物質的な固体の事でだけではない
情報もカルマの一つになる
カルマとはダルマでないもの、すべてを指し示しているといってもいい
ダルマとは、流れそのものであって
カルマを乗せているものと、捉えていい
この世界の奥底に流れている、一定の流れそのものをダルマという
その上に乗っているものがカルマになる
カルマの中で、正しい・間違いを判断しても
すべてが、カルマでしかない
私たちの、正しい・間違いの判断そのものがカルマでしかない
なら、私たちの判断している
正しい・間違いをどのように捉えることができるのか?
これは、それぞれで判断しているだけの事でしかない
誰もが、それぞれで判断して行動する
それだけのこと
どこかに、正しいものがあるわけでもなく
間違ったものがあるわけでもない
所詮、すべての判断はカルマによってなされているだけの事
それだけのこと