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人間

人間とは何か?

 

ほとんどの人は、そのことに気づかずに毎日の生活に追われ

見過ごしていることであり、そのことを見逃すことによって

苦しみの意味も、見えなくなってしまう。

 

世の中にある、宗教的なものはこのことに答えようとしている

また、そこに興味を持つ人も気づかずに過ごしている。

これほど、重要なのに見過ごされているもの

 

それが、この問いである。

 

「人間とは何か?」

 

これが、私たちが生まれた意味そのものであり

その答えを、求めることこそが生きる意味そのもの

 

この問題に対して

ある一つの仮定の下で、答えを出すなら

「欲」であると言える

 

人間とは、欲望である

 

いい暮らしをしたい、苦しみから離れたい、今の状態をどうにかして変えて

いまよりも、もっと幸せになりたい。

そう思うのが人間である。

 

それでいい。

 

その様に考えるのが人間だから

人間であることを、意味づけするならそうなる。

 

では、そうなると

そこでもう一つ問題が起きてくる

 

欲とは何か?

なぜ、欲望を持つのか?

 

それに対して、誰も答えを持ってない

そのことをに対して知恵を振り向けることはほとんどない

智慧では、この問題に対して答えを出すことはできない。

 

智慧は、個人の欲でしかない

人間の知恵では、このことにたどり着くことはできない。

欲をもって、欲を語ることなどだれにもできない。

 

その答えは、全体の知恵の中にある。

個人の知恵ではなく、全体を知る内に現れてくる。

全体からあふれるように、答えがやってくる。

 

啓発とは、この様なもの

自分では何もできない。

ただ、与えられる

 

そのなかで、答えるなら

自分の欲は、苦しみを手に入れる道具でしかない

自分のカルマを、昇華するだけの道具であり

この世界に、天国を作り上げる道具でしかない

 

欲を否定することは、人間を否定することと同じこと

人間は、欲でしかない

 

すべては、与えらる

どんな、形も自分で作り、それを壊していくために

すべてがある。

 

欲がある。

それでいい。

 

この問題には、もっと深い答えがある

今の自分では、そこまでたどり着いていない。

そのために、瞑想を続けていく

私は自分が知りたい、生まれてきた意味を知りたい

それも欲であり、自分という個人の意味でもある

生きていることは、そのためにある。

 

欲望を否定しては、どこにも向かうことができない

欲望がある、その欲望を満たすため

生きていく。