啓発は、何も特別なことではない。
特別だと思う思考があるだけで、その意味は何も生み出さない。
啓発した者は、ごく普通に日常生活を送っていく。
毎日の生活の中に、普通の人生を生きていく。
毎日の生活は、苦しみが起きてくる。
苦しみを味わい、その苦しみの中にいることを
ごく普通に感じて生きていく
特別なことは起きないことを知るものが
啓発を起こしたものである。
啓発は、普通であって特別なものではない。
特別なものであることを、信じている段階で
まだ啓発していない。
何か特別である物を、求めているなら
啓発はまだ来ない。
しかし、啓発は、もうあなたのとなりにある。
普通のものだから
いま起きることを、静かに受け入れていく
必要なことしか起きないのだから
受け入れた人から、啓発の道へ入っていく。
啓発は、誰にでも扉を開いている。
誰でも、その門に入ることはできる。
苦しみの中に、その門は開いている。
人生の目的が、この啓発であること
このことは、間違いではない
私たちは選ぶことができる。
啓発を選ぶか、そのまま生きていくか
何を選んでも、何も問題は起きない。
その道が必要だから
自分自身にとって必要な道を自由に選ぶこと
啓発は誰も拒否しない
ごく普通の道だから