瞑想をつたえるということは
ざっくりいうと、他人の下水管を修理することでしかない。
私たち、人間は下水管の詰まった体を持って生活しているに過ぎない。
瞑想をする、あるいは瞑想をつたえるということは
この詰まった下水管をきれいに掃除するだけの事
ゴミの詰まった下水管では、うまく物事が流れない。
そこで、下水管の掃除屋さんが必要になる。
瞑想が、お掃除をしてくれる。
私たち、瞑想を伝授している者は
その手伝いでしかない。
まるで、スーパーマリオブラザーズのように
下水の保守点検をするだけの事
その仕事を、どれだけ誇りを持つか
他人の目を、気にしては仕事ができない。
この仕事は、誰にも目につかない仕事であるが
とても、大切な仕事である。
下水管が詰まると、その中で流れている流れが止まり
苦しさと悲しさで、あふれてしまう。
それを防ぐこと
そのために、他人と自分のために
汚物にまみれて、泥をかぶり下水を掃除する。
下水の掃除をちゃんとして
自分の汚れもいっしょに綺麗にする。
瞑想をつたえるとは、このようなこと
瞑想を日常に取り入れる
これだけで、自分の日常が豊かになっていく
もともと、私たちの日常に何も問題が起きていないことに気づく
苦しみの意味を理解して、世界を信頼できるように
瞑想を伝えていく。
自分の仕事は、これだけの事でしかない。
誰にもできない。
誰でもできる。
この仕事に誇りはある。
おごりはない。
すべてを、信頼する
この言葉もない。