もともと、私というものはない。
あるように感じているのは、マボロシであり
いつか消えていくもの
私は、存在していない。
でも、私がないとこの物質世界では
生きていくことができない。
物質世界で生きていくことは、私を生きることである
私とは何か?
それは、カルマそのものでしかない。
カルマがあるから、私があり
瞑想によって、カルマを昇華していくと
私がなくなっていく。
その結果、全体の流れを感じやすくなる。
全体に戻っていくこと
私がありながら、全体を感じて生きていくこと
そのことを、啓発という。
私が大きくあるときは、苦しみがいつまでもついてくる。
私が小さくなると、苦しみがあってもすぐに消えていく
私そのものが、苦しみである。
苦しみの中で、生きていくと
私が消えていく。
その手助けをするのが、瞑想である。
生きている中で、苦しみを終わらせると
そこに、天国が現れ始める。
地獄の中に極楽が表れだす。
一番の問題は、私があり続けることであって
私がなくなると、全体を感じる。
私があって、全体を感じる
それこそが、生きている意味。