ここで言う、「完全沈黙」とは思考を止めることではない。
思考は止まることなどない。
自然にいつまでも湧き起こってくるものであって
誰かが、止めることなどできない。
「完全沈黙」とは、思考の流れを、ただ観察すること
全体の中にあって、すべてを信頼し、その動きを眺めること
全体の流れは、動いているが
全体と一体になったときには、すべてが止まっているように見える
そのとき、「完全沈黙」が訪れる。
何かに捕まっているようでは、「完全沈黙」にはならない。
流れを妨げている、何かではなく
流れ、そのものになること
「完全沈黙」になるためには、すべてになる。
この「すべてになる」ということさえ必要ない。
私たちが、もうすでに「完全沈黙」からあらわれているのだから
私を、持つ必要さえない
わたしも、全体であると認識したとき
「完全沈黙」が、現れてくる。
そのために必要なことは、何一つない。
このの言葉さえ必要ない。
ただ、信頼すればいい。
信頼という、言葉さえいらない。
私たちは、もう「完全沈黙」なのだから
それを、疑う必要さえない。