キリスト教で、言われている言葉。
「原罪」
これは、何も罪ではない。
悪でもない。
ただ、カルマのことを言っている。
カルマは、開放するとき苦しみを与える。
そのことを、原罪と言い表しているだけ
苦しみを与えるもの、それがカルマでしかない。
カルマは、何もしない。
解放されることを、目的に作られるもの
カルマをもって生きている。
私たちは、カルマをもってカルマを開放する仕組みの中にいる。
苦しみは、そのために生まれる。
苦しみの意味を知れば、どれだけ豊かな世界があるのかを知ることができる。
いままで、苦しんでいたことは
苦しむためにあった。
苦しみは、カルマの解放のためにある。
解放した後は、もう苦しむ必要はない。
ただ、新しいカルマが来て
また、苦しむだけ。
苦しみの意味を知ること。
知った後は、自分の後ろに豊かな花園があることに気付く。
カルマは開放されたがっている。
その手伝いを、自分がしている。
それだけのこと
だれも、罪人ではない。
誰も罰を受けているわけではない。
悪人もいない。
苦しみの仕組みの中にいるだけ。
それでいい。