気づき。
キリストやブッダ、ムハンマドが何に気づいたか?
何もない。
何にも気づいてない。
ここで言う、気づきとは
啓発の事。
仏教でいう、悟りの事。
彼らは何も見ていないし、何も聞いていない。
ただ、気づいただけ
本当の気づきとは、このこと言う。
光も見てないし、美しい音楽も聴いてない。
ただ、気づいた
そのことで、すべてが分かった。
すべてが全体であり、部分でもある。
すべて同じものであることに。
そこには誰もいないくて、すべてある。
意味がない。
そのことに気付いた。
そのことを、伝えようとした。
きりすと、ブッダ、ムハンマド、彼らはすべてを、知らなくても
すべてを語ることができた。
すべてから、語ることによって
自分が知らなくても、できることを知っていた。
自分があることによって、苦しむことも
自分が行うことによって、苦しむことを
そのことを、伝えようとした。
気づくことを。
それが、啓発であり悟りのこと
何かを、見たりすることではなく
ただ、気づくことを伝えた。
それが本当の伝承。
でも、私たちの思考は
その伝えたいことを、別の形にとらえ始めた。
個人個人の都合で、別の形にとらえ始めた。
いま伝わっているものは、彼らが本当に伝えたかったものではない。
本当の教えは、かき消されてしまった。
本当の教えなどはない。
ただ、気づくことを伝えたかった。
それを、教えにしてしまった。
自分たちの思考によって。
思考は、いつもささやく
思考に、囚われ道に迷う。
思考は、いつも大きく声を上げる。
その声の大きさに、すべてを捻じ曲げる。