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瞑想・実践編5

光を見る仕組み

私たちは、光の存在です。

光が私たちのカルマである、物質を作りそれが固まったものが

私たちの体であり、この物質世界です。

そのカルマである体を持っている中で

苦しみを感じ、カルマを解消していくのが人生であり

瞑想の目的です。

 

なら、なぜカルマを持ちながら光を一瞥することができるのか

一瞥したことがどのような意味があるのか

それを書いていきます。

 

一瞥する光は、私たちの物質を作り上げる最初の存在です。

その光を見たとき、本当の自分を発見したように感じます。

光を見たとき、ものすごい開放が行われ

いままで感じた、なによりも大きな気持ちよさを感じる

 

それは、このように説明できます。

私たちは、生まれたときある一定のカルマを抱えて生まれました。

それは、まるでバケツに入った砂のようなカルマです。

そのカルマを抱えてい生きていくと

とても重く、苦しいものです。

 

私たちが、カルマを昇華して開放していく

一回、瞑想するとこの砂が一粒消えるようなもの

ただ、この一粒の砂の大きさはさまざまです。

大きいものから、小さいものまで

重さも、様々です。

 

その砂の中で稀に、とても大きな砂があるときがあります。

その砂が消えたとき

間違えて、バケツの底まで見えてしまうことがある

そのバケツの底には、私たちの本来の姿である光が見えることがある

その光を見たときが、一瞥体験と言われるもの

でも、周りにある砂はたくさんあります。

消えた砂の場所を埋めるように

 

また光を隠してしまう

もう光を感じることはできない

 

一瞥した人は、本来の自分の姿である光は覚えている

だから、自分の本来の姿が、この体でないことは知ってしまう。

苦しみが、ただの幻でしかないことも知ってしまう。

 

でも、この世界に生きていることは

苦しみを望み、生まれてきた

そのことを、忘れてしまうくらいの経験です。

 

一瞥した光はもうないのに

その経験を持って生きていこうとする

そうなると、自分のカルマを昇華することを

見失っていしまう

いつまでも、苦しむこと

それが必要なのに

 

その苦しむことを、忘れてしまうと

いつまでも、苦しみがやってくる

カルマの開放が、できなくなってしまう。

これが、「ヨギの罠」

「瞑想の落とし穴」

 

こうなってしまうと、苦しみを見ないようになる

生きている意味がなくなってしまう。

光を見ることが、瞑想の目的ではない

カルマの開放が、瞑想の目的

生きている目的

 

明日は、瞑想の中にある意識の段階を書きます。