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ELM・深い瞑想で生じる深い経験

今日もこのブログに来てくれて

ありがとうございます。

瞑想の学びを遺書にしていきましょう。

 

 

マハリシは、「瞑想の目的は瞑想中の経験ではなく、日常の生活を向上させるためだ」とよく言っていました。

日常の生活の中で、常にマインドが活発な状態で、ただ目を開いて雑事を行うだけでは、私たちを発達させることが瞑想の目的です。

ヒーリングやチャネリング、その他のスピリチュアルな実践を行っている時であっても、依然として意識の表層レベルでそれらを行っているにすぎません。

深い領域はと入っていかなければ、わたしたちを再充電することができないのです。

私たちの日常での活動は外側へと向かいますが、一方で瞑想中の活動は内側の源へと向かっていくのです。

二つの異なる状態で起きることは、全く対極にありますが、それぞれがお互いを補完し合います。

 

私たちの経験全体を精練させる唯一の時間は、私たちを精練させることだけを目的とした瞑想の時間だけです。

瞑想の間は、他の活動を行うことだけではありえません。

チャネリングんもできません。

この瞑想の最中に、チャネリングを行うことは不適切です。

そして、ヒーリングを行うことも不適切です。

天使や他の存在を見ようとすること、そして叡智やインスピレーションを得ようとすることも不適切です。

その理由は、この瞑想の最中には自然とカルマの開放が起こり、そのカルマが私たちの認識を歪めてしまうからです。

この瞑想は、私たちの意識を精練させて、私たちのパワーを増大させてくれる経験の深い領域へと導いてくれます。

マハリシは、欲ナイフのたとえ話を使いました。

ナイフを長い間使っていると、やがて切れ味がにぶってきます。

ナイフを使うことと、ナイフを研ぐことは異なる行動です。

同様に、日常でマインドを使うことと、マインドを鋭くすることは異なるものです。

この二つの行動を、同時に行うことはできません。

使うことと鋭くすることは、まったく異なる行動だからです。

もしマインドを使わないのであれば、いくらマインドを鋭くしてもいみがありません。

もしマインドを鋭くしないなら、いくらマインドを活用しても意味がないのです。

 

マインドを使わずにほっておくと、やがてマインドは鈍くなってしまいます。

ある特定の考え方にとらわれてしまうのです。

ここに瞑想のすばらしさがあります。

毎回私たちが瞑想をするたびに、私たちは精練されマインドは鋭くなります。

マインドはより開き、さらに柔軟に物事を考えることができなくなります。

以前は困らせられていた状況に、それほど悩まされなくなります。

それについて考えないようになったからでなく、私たちの内側のストレスが減少したからです。

私たちはより無垢になり、より開いていきます。

それによってさまざまな状況からかつてと同じような影響を受けなくなるのです。

これが真の成長です。

 

私たちが様々な状況を、マインドで誤魔化さないようになると、その時真の成長が起こります。

私たちはマインドを使うことにより、私たちの感覚を催眠術のように操ることができてしまうのです。

その様なやり方では、決して私たちを変容させることはできません。

ある状況を避けることは、その状況を癒したことにはなりません。

それはただ一時的にごまかして避けているだけで、遅かれ早かれその状況は再び発生します。

これはあらゆる状況に言えることです。

いままで向かい合わないでごまかしていた状況は、いつか再び向かい合わなければならないのです。

これが宇宙の法則です。

そして宇宙の本質です。

すべては周遊していて、やがて元の状況へと戻ってきます。

私たちが必要なことは、心の準備をして、経験を深めていき、さらなる愛へと自分たちを開いていくことです。

 

この瞑想の素晴らしい点は、すべてが自然だということです。

私たちが手放しゆだねれば、自然はすべてを行ってくれます。

一度永遠の愛の瞑想を始めると、あとは瞑想自体がすべてを行ってくれます。

自然が私たちを根源(空)へと導いてくれます。

さらに、私たちを通常を超越した認識や能力へと開花させてくれるプログラムも用意されています。

深い瞑想の経験を十分にした後に、これらの実践を始めることができます。

このプログラムを始める前に、認識の経路が十分に浄化されて、過去のカルマや現実に関する信念などによって現実の認識がゆがめられなくなる必要があります。

十分な浄化が行われて、私たちの意識が深まれば、次のレベルのプログラムを行うことができるのです。