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ELM・啓発前と啓発後の苦痛への反応の違い

おはようございます。

今日は、苦痛について書いてみます。

 

 

私たちは、同じ状況を何度も何度も繰り返しているようにみえます。

私たちは、その同じような状況にどれほど執着しているのでしょうか。

この状況は、啓発を得た人と得ていない人では違うのでしょうか。

啓発を得る前の私たちの状況に対する反応は、石に直線を彫り刻むようなものです。

それでは状況は永遠に変わりません。

私たちがある状況に動揺すると、その動揺が数日、数週間、時には数年続くこともあります。

ある人が私たちに何かひどいことを行って、その人のことを決して許すことができないことがあります。

この状態が、石に直線を刻むようなものなのです。

その後ヒーリングなどを行うことで、その状況を手放して許すことができたとします。

そして、次に同じような状況が発生したらどうでしょうか。

しばらくはまたその状況にしがみついて許せないかもしれませんが、前回よりも早く手放すことができるかもしれません。

 

では、私たちが啓発を得た後、あるいは啓発の道のりの途上にいる場合はどうでしょうか。

啓発の道のりを歩んでいくと、石のように固まった自分が緩みだし、水のように柔軟になっていきます。

そして、少しずつ流れ始めていきます。

水に直線を刻もうとすると、瞬間的には直線の印象が残るかもしれませんが、その線はすぐに消えてしまいます。

私たちが一度啓発への道のりを歩き始めて、自分を癒し始めると、依然として苦しみを感じるかもしれませんが、その苦しみにしがみつかないようになっていきます。

啓発に近づいていくにしたがって、より多くの苦しみを経験していきますが、その状況にしがみつかなくなります。

これが執着しないという意味です。

それは決して、状況に対してみないふりをしたり愚鈍になるわけではなく、とてもダイナミックで深遠な自由の状態なのです。

啓発の最も高い段階では空気に直線を刻むようなものになります。

すべての状況を、完璧に自由で明晰に経験するようなものになるのです。

 

私たちが常に根源(空)の意識を保持し、それを決して失わなくなれば、それが啓発の第一段階です。

それでも物理的な肉体はあるし、その肉体はカルマからできています。

依然として、カルマに満ちた世界に住み続けるのです。

このカルマによって間違った行いをすることもありますが、自然の法則である宇宙の流れと常に調和しています。

嵐の中では川は濁流となり、流れの途上で泥や木の枝などいろいろなものを拾い上げて下流へと流していきます。

そんな状況であっても、宇宙の法則である「流れ」のなかにあるのです。

しかし流れの中でも、多くのゴミを拾い上げるのです。

この状況は、まさに私たちの啓発への道のりがいま置かれた状況と同じです。

私たちの内側は平安を保つことができますが、周りの世界ではたくさんの混乱した状況が続いていきます。

世界全体がそこから自由になるまで、個人も完全に自由になることはありません。

これが真実です。

肉体がある限りカルマは存在します。

カルマに満ちた世界が存在する限り、私たちはその状況に関わることになります。

ここで問題となるのは、カルマ自体ではないのです。

そのカルマの状況の中にいながら、どれだけ自由を感じることができるのかなのです。

 

啓発の第一の段階は、カルマから自由になることによって平安にとどまることです。

マハリシはかつて、「キリストは十字架にかけら時に決して苦しまなかった」と語りました。

啓発した人間が、そのような状況で苦しむことはありえないのです。

彼は苦しみを経験しませんでした。

彼がその状況に置かれたとき、苦しみが発生した瞬間に、それを感じ取ることなく開放し続けたのです。

それが違いです。

キリストのような神意識の高次の段階では、苦しみを感じることはありません。

わき腹にやりが刺さり、手には釘が打ちつけられても、彼が苦しんでいたとは考えられません。

ヨギたちも同様です。

多くの啓発をした人たちも同様です。

私の著書、「あるヨギの自叙伝」のなかに、犯罪者を追いかける警察官の話があります。

その警察官は犯罪者に追いつき、彼の腕を剣で切り落としてしまったのです。

しかしその瞬間、警察官は、その人物が犯罪者ではなくヨギであることに気がつきました。

そのヨギはただ振り向いて、切られた腕を拾い上げ、立ち去っていきました。

警察官は自分がやったことを後悔して、木の下に座って自分の間違いを悔いていました。

次の日、そのヨギは警察官のところへやってきて、「御覧なさい、もとどおりになったよ。あなたは自由だよ」とだけ言って、また立ち去りました。

ヨギの腕は、元どおりになっていて、警察官はその間違いから自由になったのです。

 

手放すということは、とても重要です。

私たちは、苦しみや罪悪感にしがみついています。

啓発を得るということは、自由になるということです。

それでも、依然としてまだ取り組むべきカルマは残っています。

重要なのは、どのようにそのカルマに反応するのかなのです。

石に直線を刻むように、それにしがみついている限りは、そのカルマは永遠に続きます。

水に直線を描くように反応すれば、直線の残像はすぐに消えて、直ぐに手放すことができるのです。

私の師は、「課題を見つめ、課題に取り組み、悲惨からは離れなさい」とよく言っていました。

すべての魂は、過去の誤りを蓄積しています。

私たちは皆、いままで先延ばしにしていたことを経験しなければならないのです。

いまという時期は、私たちでなく、この世界にとっても浄化の時代なのです。

宇宙だけが、「私たちはどのカルマと向かい合わなければならないのか」、「どの程度その状況に向かい合い、許さなければならないのか」を理解しています。

私たちはただ目の前の状況に取り組めばいいのです。

「課題を見つめ、課題に取り組み、悲惨さからは離れなさい」

これは叡智に満ちたアドバイスです。