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ELM・フォーカス(エゴ)とカルマ:肉体を得ること

おはようございます。

今日も、このブログに来てくれてありがとうございます。

また瞑想の学びを一緒にしていきましょう。

エゴとカルマのこと

肉体を持っていることについて書いてみます。

 

 

フォーカス(焦点を当てること)は、プレッシャー(圧力)の一つの形態です。

私たちがフォーカスしすぎるとき、自分自身を無理強いするプレッシャーをかけているのです。

私たちはみんな、自分はどうあるべきか、あるいはあるべきでないかという観念を持っています。

私たちの最大の問題は、常に自分は十分ではないと信じていることです。

ありのままの自分自身を受け入れることができないのです。

いまのままの自分は不十分だと思い込んでいます。

そして、より良い存在に変化しなければいけないと思いこんでいます。

でも、これはすべて私たちの思い込みです。

 

私たちは完全な存在として創造されました。

私たちは生まれてくる前に両親を選びました。

この転生における人生の課題を達成するために、最も適した出来事と人格を自分たちで選択したのです。

生まれてくる前にすでに、人生で経験するすべての困難や、自分や家族に起こる出来事を選んでいたのです。

15歳くらいになるまでは、私たちの人生んのすべては生まれる前の選択によって決定されています。

 この世に生まれる前に、様々なことを詳細に至るまで決めてきたのです。

自分で人生の台本を書いてきたのです。

もし、両親が離婚したならば、それはあらかじめ知っていたことです。

もし、両親に虐待されたなら、それも知っていました。

トラウマになるような事故についても、あらかじめ知っていた事なのです。

そして、そのような虐待をする相手や、誰が事故を起こしてくれるかなど、魂の配役をあらかじめ決めてさえいるのです。

少なくとも私たちの魂のレベルでは、彼らが私たちの魂のサポートをするために、虐待や事故などを起こすのだと理解しています。

 

15歳を超えたころには、生まれる前に決めてきたこと以外のことが始まります。

これ以降の人生では、自分の行動や反応に責任を持つ必要があります。

依然として、自分や、友人たち(一見ひどいことをするような魂の友人を含めて)が生まれてくる前に決めた出来事も発生しますが、その条件を再構築していく自由意思を使えるようになるのです。

そして、様々な状況にポジティブに反応することによって、さらなるカルマを蓄積するのではなく、カルマを開放していくことができるのです。

 

一度私たちが肉体に生まれてくると、このような視点をすべて忘れてしまいます。

突然、この現実に投げ込まれるようなものです。

生まれてくる前に想像したよりも、さらに困難な現実を経験していきます。

転生前に魂が天国にいたときには、楽観的に次の人生を考えていました。

自分が困難を経験することによって、両親や家族を癒すことができると考えていました。

しかし一度地上に生まれてみると、自分が抱えている状況の困難さに圧倒されてしまいます。

 

しかし、地上に肉体をもって生まれてこない限り、カルマは開放できないし、本当の自分を思い出すこともできないのです。

一度目をざめのプロセスが始まれば、ひたすらにそれを前に進めていくことだけを望むようになります。

みなさん、そうではないですか?

この世界に生まれてくる前には、そんな魂の友人たちが人生を通じて人生を通じて私たちの人生に影響を与えることをわかっていました。

地上の人生では、母、父、友達と呼んでいる彼らの魂は、私たちにすべての経験を与えてくれる存在なのです。

それがよい経験でも悪い経験でも、私たちが目覚めてくれるように促してくれるのです。

私の父はよく、「人間は最悪の状況に追い詰められたとき初めて行動を起こす」と言っていました。

あなたもこのように感じることが多いではないでしょうか。

私たちはこれ以上ないくらいプレッシャーをかけられるまで、ただ座って何かが起きるのを待っているだけではないでしょうか。

そして最後にようやく、立ち上がって行動に移します。

しかしそれでも、内側には恐怖を抱えています。

それがプレッシャーです。

 

エゴはプレッシャーを作り出します。

私たちが何かを達成するということに夢中になりすぎてしまうからです。

同じことにフォーカスし続けてしまい、自分たちの外側に独断的な目標を作り上げてしまいます。

そうすると、その達成に過剰にフォーカスしてしまい、本当の力を失ってしまいます。

それをやってしまうと、自然が自動的に目標を達成するのを妨げてしまうのです。

自然は常に、独自の流れを持っているものです。

自然の流れとそれ以外のものについて、次のように理解することができます。

自然と神は同じものです。

人生、愛、神もまた同じものです。

それ以外のすべては、全く別のものなのです。

 

では別のものとは何でしょうか?

私たちが何かを無理に止めようとするとき、あるいは同じ状態にとどめようとするとき、それはすでに生命を失っています。

それは、死の状態です。

私たちが死を作り上げるのです。

神が死を創るわけではありません。

神は永遠の生のみを創造します。

私たちがブレーキを踏むたびに生命の流れを止めてしまい、死を作っています。

頻繁にブレーキを踏みすぎると人生も根負けして、「わかったよ。止まるよ止まればいいんだろ」と妥協して、少しずつ動きを遅くしていきます。

そして私たちは、次第に重くなっていきます。

肉体は、少しずつバラバラになっていき、やがて死を迎えます。

実のところ、私たちは決して死ぬことはありません。

それは幻想です。

しかし、肉体は幻想の死を経験します。

それでも魂は続いていき、また別の肉体を見つけて、同じことを何度も何度も繰り返していきます。