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ELM・思考の起源

おはようございます。

今日も、瞑想の学びをしていきましょう。

思考はどこから来るのか

どんなものなのか

文章が長くなると思いますけど、がんばります。

 

 

私の師は、マインドを海に、思考を海底から上昇していく泡に例えていました。

海底は、海全体を存在させる基盤となる永遠の不動の現実です。

私たちの意識が通常の状態にあるときは、マインドは海面のみで機能します。

海面(マインドの表層)では、すべての認識が具体的であり、定義と密度をもっています。

私たちの意識は、海面の出来事は握りしめて認識し、定義することができます。

これは3次元的な現実です。

一貫して動き続ける経験の波によって特徴付けられる現実です。

一度嵐が発生すると、嵐が収まるまで輪たちは振り回され続けます。

私たちの日常は、この状況と同じようなものです。

 

この現実の内側深くには、深海のような静寂で深遠なもう一つの現実が存在しています。

この宇宙のすべての物質は原子と素粒子から構成されているという、物理の原則があります。

太古のマスターたちは、素粒子よりさらに微細なものが思考であることに気がついていました。

宇宙の万物は、究極的には思考によって構成されているのです。

現代物理学も認識に近づいてきています。

量子場では、すべての事象が観察者の主観によって影響を受けているという事実があります。

言い換えれば、観察者が思考したものは、彼らが観察している場に直接的な結果を作り出すということです。

 

マインドの内なる現実には様々なレベルがあります。

海のように深度によって異なる現実があるのです。

マインドが表層的な現実のレベルでは、経験や思考で常に活動的な状態にあります。

一方マインドの内なる現実は、より静寂で深遠です。

私たちの通常の認識の届かない領域に、まだ経験されていないメンタル的な可能性の無限の貯水池が存在しています。

永遠の愛の瞑想の機能の一つは、マインドをより深いレベルの認識に慣れされることによって、通常の認識を超えて、より深い静寂な領域を経験できるようにすることです。

 

究極的には、私たちはすべての生命の根源を発見し経験しなければなりません。

海に海底があるように、意識にもその基盤、あるいはすべての起源があるのです。

この意識の基盤は、「シュンタヤ」あるいは「空」と呼ばれています。

根源の虚空、究極的な本質です。

宇宙が創造される以前は、静寂だけがありました。

それは絶対的で不動のものでした。

それは、宇宙のすべての経験と物事の基盤です。

その基盤がなければ、なにも存在できないものです。

物理学では、虚空の「真空状態」と呼ばれています。

そこには空間以外はなにも存在しません。

あるいは、すべてが潜在的に存在していますが、まだ形態として具体化していない状態とも言えます。

空っぽのように見える空間が、すべての創造物を生み出すのです。

根源の虚空が、宇宙の万物のブループリントを保持しているのです。

あるとき、その虚空から、原子のインパルス(振動)が発生しました。海の例えを使うなら、海底から気泡が発生したのですが、あまりにも微細で見ることができない状態です。

これが、すべてのマントラが最初にビジャのレベルです。

 

永遠の愛の瞑想で使われるビジャマントラは、この原始の衝動から発生しました。

これらは非常に微細であるため、知覚することはできません。

素粒子よりもさらに微細なのです。

創造における最も微細な要素は思考です。

思考が万物の主成分なのです。

DNAを構成するのも思考です。

肉体に関するすべてのものは、何らかの形で思考に関係しています。

 

思考は現実的な要素です。

思考は波の一形態です。

思考は知性をもった振動であり、意識の場全体に放射されていて、私たちの肉体すべてに影響を与えています。

思考の波が最初に発生したとき、思考は純粋で原子的な愛のフォースでした。

それはとても微細なもので、私たちの意識は知覚することができません。

思考の衝動が意識の表層へと上昇するにしたがって、より具体的に変化していき、表層に達するまでには知覚できるようになります。

 

科学の世界では、我々の真の可能性のわずか4%~10%しか活用していないと言われています。。この4%~10%のマインドの領域は、私たちの日常生活、思考活動、視覚化(ヴィジュアリゼーション)などに関わる部分です。

哲学的なプロセス、白昼夢のようなもの、天国を視覚化することなどすべての思考活動は、マインドの通常の認知の領域によって行われています。

マインドの領域を使っている限りは、認識のさらに抽象的なレベルを洞察するのが困難なままなのです。

 

視覚化のプロセスを瞑想に使ったとしても、視覚化の概念というマインドを調整することによって、次々とやってくる思考を追いかけているだけなのです。

すべての概念や視覚化は私たちの現実の通常の範囲の中にあり、認識のより抽象的なレベルへ、つれていってくれることはありません。

視覚化は、私たちをスピリチュアルな光に満ちた美しい場所へ連れて行ってくれるかもしれません。

しかし、経験が具体的で特定できるものである限りは、通常の意識領域にとどまったままなのです。

マインドがさらに深く、より微細な認識の領域へと移行するにしたがって、形を認識する能力は消滅していきます。

意識の深い領域におけるすべての知覚は、より抽象的で目に見えないものです。

 

意識の深い領域へと行くためには、そのとき何を経験していたとしても、その経験は消滅されて、より抽象的な知覚へと移行する必要があります。

具体的な何かを経験している限りは、現実の表層のレベルにとどまったままです。

どんな形態の意識集中であっても、やはり、形が認識できるような現実の表層的なレベルにとどまったままで、そこから変化することはありません。

その様なやり方では、私たちの意識がより深いレベルへと流れていくことはありません。

すべての意識集中のテクニックは例外なく、マインドを対象物へととどめてしまい、そこから変化することはありません。

意識集中は、私たちをどこにも連れていかず、意識を発達させてもくれません。

意識集中は意識の拡張の対極に位置するものです。

何かに意識を集中すている限りは、意識をかくだいすることはできません。

 

これが、瞑想中に決してマントラに集中しない理由です。

瞑想中は、ただマントラを手放します。

そして、自由に流れさせるのです。

やがて私たちの意識は、自然とマントラの振動を感じて深いレベルへと導かれていきます。

あなたの意識が深いレベルにあるとき、無理にマントラに集中しようとすると、頭痛を引き起こすことがあります。

それをやることによって、深いレベルにいた意識がマントラを発音できる表層レベルへと強引に引き戻されることになるからです。

空に近い領域では、マントラを発音することはできません。

マントラは振動に過ぎません。

意識の深いレベルにいるときには、通常のマインドの意識を使ってこの微細な振動を知覚することはできません。

あなたはただ、あなたの意識のフィールドを流れている愛の優しい波を感じるだけです。

 

瞑想中は、マントラを感じるときもあれば、マントラがどこかに消えてしまって感じられないときもあります。

マインドに多くの思考が発生しているときでも、マントラがどこかで存在しています。

マントラは、ハートの中の振動や優しい波として感じられます。

決してなくなることはありません。

マントラを失った時は、マントラを考えるのではなく、ただ感じてください。

振動を見つけて、ただ手放してください。