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ELM・カルマの開放・①

今日も、瞑想のことについて

学んでいきましょう。

カルマが瞑想によって、どのように開放されていくのか

書いて見たいと思います。

分量が多いので二日にわたると思います。

 

 

まるで握りしめた拳のように、カルマが神経システムの中に蓄積されている様子を想像してみてください。

私の友人のジョン・グレイ博士は、(彼の書いた「男は火星から女は金星から来た」という本を知っている方もいるかもしれません。)、拳をきつく握りしめながら「NO! NO! NO! 」と叫ぶワークを私たちにやらせました。

このワークを長い間続けると、拳が握られたまま固まってしまい手を開くことができなくなります。

私たちが何かに「NO!」と言いながら抵抗を続けると、それを手放すことができなくなるのです。

 

これが私たちの体の内側で実際に起こっていることです。

肉体は握りしめたものを手放そうとしないのです。

私たちがリラックスし始めると、握りしめた状態が緩み、開放が始まります。

握りしめられた状態(執着の状態)こそが、カルマが肉体に蓄積されている状態です。

リラックスして緩めていくことによって、肉体からカルマが開放されていきます。

 

私たちが睡眠や瞑想などのリラックスした状態になると、私たちの神経システムに蓄積された、結び目のようなストレスが解けていきます。

そうすると、血液中の科学組織にも変化が表れます。

瞑想を初めて10分以内に、乳酸値が30%減少します。

乳酸は運動によって発生し、ストレスを測る指標にもなっています。

 

これは、実際にストレスの30%が減少したことを数値的に示しています。

瞑想は心臓が休息をとることのできる数少ない機会の一つです。

心臓は常に活発に活動しています。

ですが、瞑想中に発生する低代謝の状態が心臓のバランスをとり休息を与えるのです。

それにより心拍出量が30%減少します。

高血圧の問題がある方でも、瞑想を初めて3週間ほどすると血圧が正常値に戻ります。

 

私は今までに、血圧が改善する多くの例を見てきました。

極端に血圧が低い場合は、血圧は上昇します。

決められたルールがあるわけではありません。

いずれの場合も肉体が正常な状態へとバランスを取ろうとするだけなのです。

肉体は、肉体自体のバランスを保ちカルマを開放するためには何が必要かを理解しています。

どのカルマが開放される準備ができていて、どのカルマがいまではなく今後より良いタイミングを待ったほうがいいかは、肉体が知っているのです。

あなたがそれを無理強いすることはできません。

肉体はマインドが知覚できない高次の知性と協力しながら機能するのです。

これを信頼して肉体に起こることにゆだねてください。

 

どのビジャマントラを使った瞑想でも、肉体と高次の知性は協力しながら啓発へと向かっています。

啓発とは、マインドの目覚めだけに留意しているものではありません。

実際には、啓発とは観念や気づきとは関係のないものです。

真の啓発とは肉体が変容して啓発の状態を保持できるようにならなければなりません。

肉体が意識の目覚めに追随しなければならないのです。

肉体が目覚め始めると、これまでどれほど握りしめていたかを気づくようになります。

 

どれほど凝り固まっていたかということに気がつくのです。

そこから少しずつ緩んでいき、開放が始まります。

この開放の過程は、啓発を得るために重要な段階です。

この段階を踏まなければ、啓発はただの夢物語で終わってしまいます。

多くの人たちが、自分はアセンションを達成したと主張します。

しかし、私は彼らの肉体に何の変化も見ることができません。

さらに、彼らが感情的な時、夢を見ている時、深い睡眠の時などあらゆる瞬間に根源の無限の意識を保持しているとも思えません。

 

真の啓発とは、睡眠中ですら失われるものでもないのです。

そしてアセンションを達成するためには、必ずその前に啓発を達成しなければならないのです。

 

永遠の愛の瞑想による深い生理学的休息の状態で、肉体がカルマの開放を始めると、様々なことが起こります。

しかし、ほとんどの場合は、新しい瞑想者が期待したようなことではありません。

むしろ、瞑想中に起こるべきことではないと思うようなことが多いです。

カルマは肉体の中で握りしめられた拳のように固まっているということを思い出してください。

 

すべてのメンタル的な状態は、肉体的な状態に呼応して発生します。

ある魔的な堆積物や残留物、過去の心も傷などは肉体にも何らかの物理的堆積を残します。

これらの堆積物が緩んできて開放が始まると、血液中の化学組織が変化したり、他の肉体的な症状が現れてきます。

このプロセスの中で、瞑想中にストレスに関連する映像が現われることもあります。

神経システムの中で開放が起こると、何らかの症状が強く起きる場合があります。

その場合、これ以上瞑想が続けられないような不快感を経験することがあります。

時には、体の一部が痛み出すときもあります。

 

それは、座っている椅子に問題があるわけではなく、肉体の内側の堆積物が開放されているからなのです。

巨大なストレスやカルマの塊が開放され始めたのです。

気分よく瞑想を始めても、1分後には、眠りに落ちる場合もあります。

でも心配しないでください。

もし瞑想中に眠りに落ちるならば、それは肉体が睡眠を必要としているからなのです。

 

いままで頑張りすぎて自分に無理をさせていた場合は、瞑想中に眠りに落ちることが多くなります。

肉体は過去の無理強いを決して忘れることはありません。

過去のあらゆる行いは、それが緩み解放される機会を得るまで肉体の内側に凝り固まっています。

 

これは、ここ最近発生したようなカルマではありません。

これまでの人生を通じて開放されるのを待っていた非常に根深いカルマです。

この瞑想は、とても根深い私たちの先祖のカルマも開放します。

このプロセスの結果、光を妨げているいかなる障害物もいずれは開放されます。

 

毎回の瞑想で、何らかの開放が起こります。

瞑想の上級者であっても、同じことです。

肉体はいつも過剰に負担をかけられて疲労をため込んでいます。

一度座って瞑想を始めると、肉体はリラックスし始めて、カルマが開放されていきます。

解放が穏やかな場合には、肉体的には何も感じないこともあります。

しかし、どんなわずかな解放であっても、それによって脳が刺激され、何かについて考え始めるのです。

 

ではこの時、いったい何について考えているのでしょうか?

それは実際の記憶について考えているわけではありません。

それは、何か身近なことだったり、普段何となく考えていることの場合が多いのです。

マインドがこういった記憶につかまって移動しているだけなのです。

ちょうどタクシーに乗る感じです。

私たちは、タクシーに乗る場合、タクシーが黄色なのか赤なのか、あるいは青なのかなどは気にしないですよね。

 

どんな色のタクシーでも、目的地へ連れて行ってくれます。

それと同じで、どんな思考であっても、神経システムの中のストレスが肉体から解放させるためのただのタクシーのようなものなのです。

瞑想中に、マインドが白昼夢を見続けることもあります。

こういった白昼夢も古いカルマが肉体から解放されるためのタクシーの役割を果たしています。

 

そのタクシーが目的地に連れていってくれる限りは、色や見た目は関係ありません。

どの様な思考であってもカルマを開放する手助けをしてくれます。

 

記憶が開放されるときもあります。

過去の病気や傷が瞑想中に浮上してくるときもあります。

私は子供のころ、肘を骨折しました。

時がたち瞑想を初めて一年ほどたった時、ある朝目が覚めたら、肘が痛くて動かすことができませんでした。

その時は、何が起きたのか分からず、寝ている間に怪我でもしたのかと思いました。

 

子供のころ骨折したのと同じように、肘が腫れあがり腕を動かすこともできませんでした。

しかし二日後には、すっかり良くなり元に戻りました。

子供の時、骨折した記憶が、開放されて癒される必要があったのです。

骨折した記憶が私の体に保存されていて、その時まで解放されることがなかったのです。

 

このように、ある経験をした後に、その記憶や感情などが残留物として残っていることがあるのです。

肉体がクリアになるためには、そのような残留物も肉体から解放されなければならないのです。

コップの中の水に何かが浮いていたら、それは飲みたくはないですよね。

 

肉体には記憶や感情、古い傷、そして先祖が持っていた病気も含めて、たくさんのものが蓄積されています。

もし、これらの残留物が開放されなければ、いつかはその残留物による影響を被るときが来るのです。

 

 

今日はここまで

まだカルマについては、続きがあります。

残りは、また明日

このブログに書きます。