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ELM・真実を見ること。

またこのブログに来てくれて

ありがとうございます。

今日も、ELMの学びを一緒にしていきましょう。

 

真実とは、相対的なものではありません。

何かに真実を書き留めておいておけるようなことはできないのです。

真実とは、それについて思考を巡らせることのできる観念などでもありません。

もし、あなたが真実について考えを巡らせているならば、その瞬間あなたは真実から外れています。

観念の世界へと、戻ってしまうのです。

 

思考の観念などは、一枚の紙きれと同じようなものです。

観念と認識は全く異なる二つの状態です。

:一方は真実で、他方は真実のように見えるだけの観念に過ぎません。

唯一の真実とは、認識によるものだけなのです。

そして真実は、常に動きの中にあります。

なぜなら、この世界は常に変化を続けて、真実もまた常に変化しているからです。

 

では、真の認識とはなんでしょうか。

真の認識とは、様々な事象に真の理解を与える唯一のものです。

私が好きなブッダの呼称についての逸話があります。

ブッダは、自分のことを決して「ブッダ」あるいは「アラハト」とは呼びませんでした。

これらの2つの言葉は、いずれも「啓発を得た存在」という意味です。

 

彼は自分のことをシンプルに「タターガタ」と呼んでいました。

「ありのままの物事を見ることができる存在」という意味です。

一切の歪みを持たず、ありのままを見るということ。

それ以上でも、それ以下でもありません。

これこそが、私たちが到達しなければならない状態なのです。

 

ただ、物事のありのままの様子を見ること

いかなる判断も必要ないし、いかなる期待も結論も必要ありません。

 

私たちは皆、この宇宙には秩序があり、それを観念的に理解することが可能だと教え込まれてきました。

科学と呼ばれるものが真実を、表していると教えられてきたのです。

ですが、これは完全なる間違いです。

現代物理学が、かつて真実だと証明されてきたものの確証を否定しています。

すでに、証明されたと思っていた科学的真実は、すべてが主観的な分析に基づいていただけだったことが明らかになってきました。

 

量子物理学の世界観が、私たちが見ようと意識したものだけしか、私たちには見ることができないという事実を明らかにしました。

それはすべて主観的な事象なのです。

 

宇宙は人間の思考とは同時に神の思考でもあるからなのです。

神の思考と人間に思考の両方が宇宙を創造し、いまでも創造し続けているのです。

私たちは共同創造者です。私たちの思考が想像を続けていき、宇宙を変容させているのです。

 

 

しかしながら、私たちは教師やマスターの考えに従い、彼らの哲学や宗教が救いをもたらすと信じるように教え込まれまれてきました。

これも大きな間違いです。

いかなる観念もいかなる哲学も、人々を救うことはできません。

そして、ブッダやキリストなどの、どんな偉大なマスターも、観念や哲学、宗教を教えたわけではないのです。

 

その代わりに彼らは、どのようにして目覚めを得るのか、どのようにして神の王国に暮らすことができるかを教えてくれたのです。

「神の王国はあなたの内側にあります。」

といったのは、キリストでした。

 

天国とは、目覚めた存在にとっての人生の現実そのものなのです。

 

目覚めるとは、ただの観念以上のものです。

それを書き留めることはできません。

目覚めの経験を他の人たちに話すためには、まず自分でそれを経験しなければなりません。

それは、客観的なものでもないし、参照できるものでもありません。

それは、決して定義できるものではありません。

 

それは空虚なものでありながら、同時に満たされて終わりのないものです。

それは観念でもなければ、状態でもありません。

それはただそのものなのです。

そして、純粋な根源(空)を自由に経験することを妨げているようなものがカルマや様々な歪みストレスを解放することです。

 

今日は私自身にとっても、冷や水を浴びるようなことを学びました。

天国の意味を間違えて捉えていたから

欲望を満たすことが天国と、とらえていたから

 

天国とは、啓発した目を持ち現実を生きること

物事を歪めて捉えることではなく

ただ、見ることができる存在に戻ることが

瞑想の目的であることを、かみしめてまた瞑想を続けます。