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ELM・永遠の愛の瞑想の機能法。

今日も愛の瞑想の学びを一緒にして

この豊かな愛の世界を味わい尽くしましょう。

 

永遠の愛の瞑想は、私たちのハートがたどっていく道のりです。

私たちのハートに働きかけていく瞑想法です。

それと同時に、私たちのマインドも、ハートが進んでいく道のりを理解して、それについてこれるように導いています。

 

そのプロセスは、特に知的なものではなく、特別な才能や理解も必要ありません。

永遠の愛の瞑想プログラムに関わる教えは、ある事実を暗記するといったものではなく、直接自分自身で経験することによって、それが確かなものであると認識していくものなのです。

 

もし、ある事実が正しければそれを観察するすべての人がその事実を経験し確証を得なければなりません。

真実というものは、ただの観念以上のものです。すべての真実は、知覚され認識されるものでなければなりません。

哲学というものは、事実に関する観察に過ぎません。

 

何かを観察するだけでは、それは真実とは言えません。

それでは観念は、ただ観念のままで、マインドが知的に理解しているにすぎません。

何かを観察するだけでは、それは事実とは言えません。

それでは観念が、ただ観念のままで、マインドが知的に理解しているだけに過ぎません。

 

知覚と認識が伴う時のみ、それが真実であるといえるのです。

ハートの道のりは、私たちを真実に導いてくれるものでなければなりません。

そのためには、知識でなく意識にかかわるものでなければならないのです。

 

すべての認識は、いま私たちがいるまさにその場所から始まります。

ハートの道のりは、決して観念や概念、思想から始まるものではありません。

私たちが、今いるこの場所から始めていくものです。

長い間、マインドが私たちを支配して、私たちの人生をコントロールしてきました。

 

これはハートの道のりではありますが、いま私たちがいる場所というのはマインドであるため、マインドからこの実践を始めることになるのです。

太古の人たち、「マインドの源もまたハートである」と理解していました。

ゆえに、マインドは自分たちの源であるハートを見つける能力を備えています。

 

しかし、マインドはスピリチュアルな経験の抽象的な領域に入ると容易に混乱してしまいます。

あるいは、魅惑的なヴィジョンの数々によって気をそられてしまうかもしれません。

このような混乱状態や魅惑された状態のままでは、決して経験や認識の領域へと、到達することはできません。

そのため、マインドは適切に訓練されて導かれていく必要があります。

 

太古のマスターたちは、人生に起こりうるすべての落とし穴を理解していました。

そこで、その落とし穴を回避しながら進んでいける道筋をデザインしたのです。

根源から生じたあらゆる事象は、不備や摩擦なしで機能するものです。

これが、万物創造のもともとの意図でした。

マスターたちが伝えてきたこのテクニック(永遠の愛の瞑想法)もまた、根源から生じたものなのです。

 

根源(空)こそが真実の場所です。

それは、抽象的な観念などではありえません。

真のマスターたちは、常にこの根源(空)とつながっています。

根源(空)とつながることが、彼らの日常的な経験の一部でした。

マスターがその生徒たちへと瞑想のテクニック(永遠の愛の瞑想法)を伝えるときには、まず最初にそのテクニックが根源(空)によって適切にエネルギーが与えられる必要があります。

 

瞑想に使われるすべてのマントラ、ヤントラが機能するためには、伝授の際に適切に根源(空)によってエネルギーが活性化される必要があります。

それが行われないと、マインドはいままで慣れ親しんだ場所に取り残されてしまうだけで、マントラやヤントラはただの空虚な言葉や図形のままになってしまうのです。

マントラとヤントラが根源(空)につながり、適切に活性化された場合には、その後の瞑想は、いつでもどんな時でも問題なく機能するようになります。

 

これはなぜでしょうか?

ハートの道のりとは、永遠の愛へといたる道のりです。

ハートが持つ直観によって、マインドの道のりもまた決まってくるのです。

ハートとマインド両方が直感的に、流れていけるような手段です。

それには、いかなる形態の思考や分析もかかわるべきではないのです。

 

なぜなら、思考や分析のようなメンタル的な活動はマインドを逸らして認識の領域から、観念の領域へと招き入れてしまうからです。

また、視覚化や様々なヴィジョンにハートやマインドを関わらせるべきでもありません。

それをやってしまうと、より深い微細な認識の領域へと私たちが入っていくことを防げてしまうからです。

 

そこは、マインドが固定的な認識を持つことがむつかしく、イメージを認識することすら、難しい領域です。

その領域へと入っていくには、分析や気をそらされることから離れて、自然なプロセスにゆだねる必要があります。

 

永遠の愛の瞑想を実践することによって、それぞれのビジャマントラは、実際に振動の種であるということを理解できるようになります。

これらの振動の種は、決して言葉として発音されるためのものではありません。

ビジャマントラは、原子核レベルの振動そのものです。

それは、非常に微細なもので、言葉として発音することはむつかしいものです。

 

唯一初めにマントラが伝授されるときに、言葉の発音として伝えられるだけです。

伝授の儀式によって、マントラが適切に活性化された後は、次にどのようにマントラを活用していくかを教えられます。

それは、マントラを繰り返し唱えたり、マントラや他の何かに意識を集中させるのとは、全く異なるやり方です。

 

ハートとマインドが神聖さを経験するために、お互い調和させることによって、とても自然で優しいプロセスが始まっていきます。

初めての永遠の愛の瞑想の伝授後、わずか数分の間に、私たちはとても自然に自動的に、根源(空)へと深く入っていくことができるようになります。

特別な能力は一切ありません。

必要なものは、唯一適切な指導だけです。

 

なぜ、これほど早く誰でも矛盾なくこのプロセスが起こるのでしょうか?

ビジャマントラの振動は、根源(空)からの原始の現れです。

マスターがマントラを根源(空)へと繋げて、それを生徒たちへ与えると、そのマントラはスピリチュアルな電流を伝達するようになります。

 

コンピューターが電源に繋がれることで機能するように、マントラも根源(空)へと繋がれることによって機能するのです。

スピリチュアルな電流がハートとマインドを刺激していくにしたがって、私たちは次第にマントラの振動を経験できるようになります。

 

やがて、根源(空)の永遠の虚空へと完全に落ちていくことができるようになります。

思考、何かのコントロールすること、視覚化(ヴィジュアリゼーション)は、一切ありません。

シンプルなマインドフルネスな状態と、ハート、マインド、根源(空)の同調だけが必要になります。

誰でも実践することができます。

 

今日は、エターナル・ラブ瞑想がどのように機能しているかを説明しました。

ELMを始めるとき、まず初めに伝授の際にプージャと言われる

祝詞、歌のようなものをしています。

それが、マスターから皆さんに渡すためのエネルギーを集める儀式です。

そのエネルギーがないと、マントラもヤントラも機能しないのです。

 

明日また、ELMについて説明したいと思います。