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ELM・虚空と混沌

また、一緒にエターナル・ラブ瞑想の学びをしていきましょう。

どんな、ことが起きても

それは、カルマの解消だから

気にしないで瞑想を続けていきましょう。

瞑想を続けることによって、いま書いてある内容も理解が深まります。

 

摩擦から完全に自由な状態というものは存在しています。

私たちがこの状態を経験することは可能ですし、その状態から影響を受けることによって、本質的状態へと戻る変容のプロセスを開始することができるのです。

 

これこそが、いま現実に起きていることでもあります。

そして私たちが瞑想を始めることによって、起きていることです。

瞑想を始めると、私たちは摩擦のない状態へと入っていきます。

それは、量子場とよばれている真空状態です。

 

仏陀はこの状態のことを、虚空の状態または「シュンヤタ」と呼んでいました。

日本語では、「空」と呼ばれています。

究極の自己、あるいは愛の意識の根源と呼ぶこともできます。

 

その状態からすべての状況は癒されます。

癒しが起こる前には、あらゆる状況が不調和であるため、癒しのプロセスは一見とても混沌としています。

そのため、目覚めのプロセスを始めたばかりの人が混沌としたプロセスに驚いて、

「自分はここで何をやっているのだろう」「なんで自分はこんな状況に置かれているのだろう」「なんでこの人たちと知己あっているのだろう」

など言うかもしれません。

 

目覚めとは、予期しないような場所で突然訪れます。

目を覚ますというのは、高速道路の上などではなく、必ず森の中をさまよっている時です。

これが真実なのです。

 

私たちは遥か昔、無知や盲目ゆえに道を見失っていました。

遥か昔、私たちはこの道(高速道路の上のこと)からはずれてしまったのです。

そして、ある瞬間ふと目が覚めたときには、周りに見る状況は真の自分とはかけ離れているものでした。

 

その状況から、元の道に戻るのは長い時間が必要です。

森の真ん中では、どうやって高速道路に戻ればいいか分かりません。

道を見失ってしまったのです。

周りに慣れ親しんだものは何もなく、自分が望むようなものも何もありません。

これが、目覚めなのです。

すべてが至福に包まれているわけではないのです。

 

これは、「いままで自分は何をしてきたのだろう」「ではこれから何をすれば、本来いるべき場所へ戻れるだろうか」という認識です。

それは、誰にもわからないことです。

居場所を教えてくれる、地図はありません。

 

ですが、私たちは、方位磁石を持っています。

神聖なハートです。

しかし同時に、その方位磁石の声を独自に解釈して、私たちを再び道から外させようとするものもあります。

 

それがマインドです。

マインドは、記憶の産物であり、それらの記憶は不完全な認識から生じたものでななので信頼するには値しません。

ハートの声だけに耳を傾けていれば、ハートが本当に生きたい場所へと導いてくれます。

 

ここまでで、私たちは瞑想の必要性を理解できたと思います。

そして、シュンヤタあるいは、愛のフォースの根源に継続的に接触させてくれるようなテクニックの必要性も理解しました。

そのためには、私たちを純粋な目覚めながら、同時にマインドがハートに従うように訓練していく手順が必要になります。

 

シュンヤタや根源(空)を経験する多くのやり方があります。

意識の量子場や根源(空)の無限の静寂へと到達する多くの方法があります。

しかし、それらの方法ではとても時間がかかるし、その目標が誤解されることがしばしば起こりえます。

万人にとっての最も容易な道は、宇宙そのものによってデザインされた道です。

 

それは神聖なハートでの道です。永遠の愛の瞑想は神聖なハートの道に沿ってデザインされています。

これが、このプログラムがLOVEマントラから始まる理由です。

 

私(ボブ)はセント・ジャーメイン(サンジェルマン伯爵)のツインフレームであり神聖な片割れでもあるレディ・ポルシャを気に入っています。

彼女は神聖な正義としても知られています。

彼女は、目隠しをしながら天秤を持っているイメージとして描かれています。

なぜなら、あらゆる人たちが彼女に彼らが信じていることは、正しいと主張して語るからなのです。

 

もし目隠しをしないでいると、彼らすべての声を聴くことになってしまい混乱してしまうからです。

彼女が真実とは何かを見極める唯一の方法は、目隠しをしてハートの声だけを聞くということだったのです。

 

これが彼女が、盲目の正義と呼ばれている理由です。

目隠しをしなければ、すべてが雑音に惑わされるから。

 

今日は、ここまで

いまどんな苦しいことが起きていても

すべてカルマによって動いているものです。

それに目を向けすぎないように

すべては、移り変わっていきます。

ではまた。