支配することは自由ではない。 これは誰もが、同意できること でも、すべての人が何かに支配されている。 支配している人も、支配されている人も すべての人が、不幸である 私はその支配を解きたい。 何かにおびえて、誰かを支配するより ただ、自由に動きたい この世界のどこかにあると信じて生きていた でも、そんなものはなかった。...
私たちは、すべてにおいて 1と2の間にいる。 これは、どこにでもある問題であって 何も特別な問題ではない 1と2の間にいるとき、私たちは苦しむ。 この苦しみを、感じることが私たちの望みであって それだけのこと そのなかにあって、それは完全に調和している だから、それでいい。
私たちは、正しいことを選ぼうとする。 それは人間として間違ったことではない 私たちは、判断をして何かを選ぶことができるから 判断基準として、正しい・間違いの基準を求める 基準は、情報であったり、経験であったりいろいろある でも、その基準のもとになっているものはすべてカルマでしかない...
この世界は、すべてがニセモノでしかない 本当のことなど、どこにもない でも、この世界はある ならこの世界は、何のために存在しているのか? なぜ、この苦しみはあるのか? なぜ、幸せになれないのか? 自分の人生は、このことの繰り返しだった どうしてもこの答えが見つからないで同じことを繰り返しているようなものだった...
私たちは、いろいろな組織を作る 家族、地域、会社、国家、ありとあらゆるところで組織を作る 組織を作ることによって、生活を便利にしていく 生きやすくなるために、組織を作っていくのに いつの間にか、組織を大切にして自分のしたいことができなくなっている そのために苦しみを感じていても、見ないふりをする。...
自分がすることは、「なる」とは言わない 「なる」とは、「受け取る」でもない。 ただ、その状況になるだけ 自分の考えを超えた、「何か」が来る その「来たもの」に抵抗せずに「なる」 そこにあるようにする その時、自由に選ぶことができる 自分の行動を決めることができる 過去からの判断ではない。 未来の損得でもない。 選ぶことができる それが自由である。
私がこのブログで伝えたいことは、成功する方法ではない。 この世界に生まれた時点で、もう成攻しているから 成功する方法を、語っても意味はない。 私が伝えたいのは、「なぜ生まれたのか?」「なぜ苦しむのか?」 そのことを伝えたいだけ 物理的な成功、経済的な成功、これは「あったらいいな」ぐらいのものであり...
起きることは、起きる。 それ以外のことは起きない。 ごく普通にあることだけど 人間には、それがよくわかっていない。 いつも何かに備えている 起きないことに、備えていつも怯えている。 起きたときには、備えたこと以上のことが起きてくる 起きたことに、冷静に対処すればそれで終わる 起きたことを、嘆き悲しむより...
真理は一つでしかない しかし、真理の解釈はどんな形にもなる。 真理は語ることはできる しかし、真理を理解することはできない。 真理を語っている時、そこには真理はない 真理になっている時、すべてになっている。 そこには分離はない。 真理を語る人も、真理を追究する人も 誰もそこにはいない。 ただ、真理があるだけ...
私たちは、毎日の生活の中でいろいろな摩擦を受けている。 自分がしたいことができない やろうとしたら、別のものが起きてくるなど うまく流れに乗ることができない。 その出来事に、私たちは抵抗しようとする 自分がしたいことを、どうにかして、つじつまを合わせて 計画したように行おうとする。 それが抵抗になる。...